「福島原発人災記」読了。

 川村湊著「福島原発人災記 安全神話を騙った人々」(現代書館)読了。震災当日の3月11日から25日までの日記形式となっている。まるごと引用された報告書などは一部飛ばし読みしたが、読み慣れた著者なのですらすら読めた。
 著者は日本の原子力政策が、「敗戦」と「原爆」のトラウマから出発したと述べている。「原爆」によってたたきのめされた日本は、「原子力の平和利用」という名の基に、そのコンプレックスを克服しようとしたという指摘に、思わず納得してしまった。以下、その部分を引用。

 正力松太郎中曾根康弘が日本の原子力国策、原子力行政、ひいては原子力産業の“生みの親”となったのは、「敗戦」と「原爆」がトラウマとなっていたということが想定される。日本はアメリカに科学の力によって敗北したというのは、日本の科学者たちの共同観念であって、とりわけ原爆製造については、日本でも理化学研究所仁科研究室でウラン爆弾の製造研究を行っていて、その困難さに直面していたこともあり、アメリカのその製造技術に驚嘆したのである。
 (中略)
 …ソ連、中国などに対する、原子力によるアメリカとの同盟強化、日本の原爆製造の見果てぬ夢、そのための原子力の平和利用という名目での原子力研究の伸展といった構想を抱いていたと思われる。いずれも、戦争と敗北に対する深甚の反省を基にしたというより、そのトラウマやコンプレックスがバネになっていたものと思われる。こうした不純さから、日本の「原子力」は始まったといってよいのである。(167〜169ページ)

 ところで、出版スピードを重視したであろうから仕方ないが、41ページで原子力安全・保安院の西山英彦審議官の名前が「平山英彦」となっている。西山氏の名前はすでに広く知られているので、早急に直すべきだろう。

福島原発人災記――安全神話を騙った人々

福島原発人災記――安全神話を騙った人々