編集者という生き方。

 諸書雑感。

末井昭の「素敵なダイナマイトスキャンダル」(ちくま文庫)を、上京する新幹線車内で読了した。少し時間が経ったので印象が薄まってしまったが、エロ雑誌の編集長として活躍していた頃の話が面白かった。編集者らしい葛藤も。

 「最初、なんでもいいから描きたいものを描いていいということでスタートした雑誌の仕事だったのだが、なんでもいいと言われると逆にすごく困っていた。あれほど自分の中に表現したいものがあると思っていたのに、それがうまく具体化できないのだ。そのことにイライラして、アパートや喫茶店で考え込んでしまっていた。
 (略)そして、表現したいものやオリジナリティなんて本当はなくて、自分を表現したいという欲求があるだけなのだ、ということがおぼろげながら分ってきた。
 それは、つまり、レンアイしてるのと同じなのだ。相手のことがすごく好きだと思っていても、自分のことを分って欲しいと思って、言葉のキャッチボールをしているだけなのだ。レンアイはお互いのパフォーマンスなのである。」 


・読みかけだが、高田宏の「編集者放浪記」(PHP文庫)からも抜粋。

 「編集者は逆に、好奇心から出発する。既成の物も人も好奇心の対象としては魅力がうすいのだ。既成でないもの、つまり新しいもの、そのかわり先がよく見えないものに惹かれるのが、好奇心というものである。その新しいものがどんどん輝きを増してゆくのをすぐそばで感じるときの喜びを、何にたとえたらいいだろうか。」

 先回りして読んだ「あとがき」から。

 「この本のなかにも書いたことだが、私は、編集者のなかには放浪性がひそんでいると思う。右に誌した私自身の放浪などはたかが知れていて、もっと転々としている編集者はたくさんいるのだが、そうした外見上の放浪にかぎらず、編集者という職業のなかには、好奇心という、自分の内に棲む魔物にうごかされる人間が多い。わるく言えば、浮気性である。一つのことを続けていると飽きてしまい、少々危険でも新しいことに向って無鉄砲に突き進んでしまうところがある。安住とか安定、また制度とか組織といったものから、ずれ出してしまう心の傾き、と言ったらいいだろうか。」

 編集者、という生き方について、考えているところである。