「戦後文学を問う」読了。

 川村湊著「戦後文学を問う」(岩波新書)読了。1995年刊行。戦後の文学がたどった道のりを、「政治」、「ベトナム戦争」、「性」、「クルマ」、「アメリカ」などのテーマに沿って概観していく。特に興味深かったのは、「『風流夢譚』事件」などを取り上げた「Ⅲ章 一九六〇年の雛祭り」。大江健三郎の「セヴンティーン」という作品にまつわる事件については初めて知った。
 以下、非常に考えさせられた部分を引用。

 日本の近代文学は、これまで「表現の自由」が決定的に侵されようとする場面において、いつも有効な発言や運動を対置することができないまま、ずるずると敗北をしつづけたという不名誉な実績がある。一九一〇年代の大逆事件の時がそうであり、一九三〇年代の小林多喜二虐殺事件の時がそうであり、一九六〇年代の「風流夢譚」「セヴンティーン」の事件の時がそうであり、そして一九八〇年代の『悪魔の詩』の訳者、五十嵐一氏殺害事件の時がそうだったのかもしれない。いずれの場合も、日本の文学者たちは「表現の自由」を擁護する側にまわるのではなく、むしろ結果的には文学の世界から数人のスケープゴートを差し出すような形で決着させてきたのである。 (60ページ)

 「Ⅶ章 クルマの中の闇」も面白かった。先日見た映画の「悪人」にも通じる「クルマ」という「移動する“個室”」に関する論考で、これだけで一冊の本になるような気がした。
 非常に多くの具体的作品を取り上げているので、読んでみたいと思うものがたくさんあった(古井由吉の「杳子」、大江健三郎の「性的人間」、村上春樹の「眠り」など)。ただ、最終章で著者も述べているように、既発表論文をつぎはぎして作られた本なので、ややまとまりなく終わってしまっているのが残念。なんだか消化不良。