「幻影の書」読了。

 昨晩、ポール・オースター著/柴田元幸訳「幻影の書」(新潮文庫)を読了。正直言って「偶然の音楽」や「ムーン・パレス」に比べると、物語としての完成度は低いような気がする。でも幻の男、ヘクター・マンの人生の回想部分は面白かった。ヘクターの映画についての設定も実に綿密でよくできている。実際にある映画なのではと錯覚してしまうほどだ。
 今作にはあまり野球ネタが出てこなかったが、留守番電話の野球ジョークやレッドソックスの帽子が小道具として登場するあたりが、オースターらしいサービス精神だなあと思う。
 以下は印象深かった翻訳作業についての比喩。柴田元幸は首肯しながらこれを訳したことだろう。

 仕事の大半は機械的なものだった。私はテクストの召使いであって創造主ではなかったから、『ヘクター・マンの音なき世界』を書いたときとは別種のエネルギーが要請された。翻訳は石炭をくべるのにいくぶん似ている。石炭をすくって、炉に放り込む。単語が石炭ひとかけ、センテンスはシャベル一杯の石炭だ。腰も丈夫で、一気に九時間、十時間と続けるスタミナがあるなら、炉を終始熱く保つこともできる。何しろ目の前には百万に近い単語が控えている。私は必要な限り長く、身を入れて働く覚悟だった。それで家が燃えてしまっても構いはしない。 (92〜93ページ)

幻影の書 (新潮文庫)

幻影の書 (新潮文庫)