震災に関して。

 参議院予算委員会の中継を見ていたら、森ゆうこ議員が佐藤栄佐久の「知事抹殺」(平凡社)を手に、東電の清水社長らを糾弾していた。なかなかちゃんとした質疑ができる議員だなと思いつつ、検察批判をすることで小沢氏や元秘書の起訴が不当であると言いたいのではないかと、勘ぐりたくもなる。どちらも水谷建設がらみだしなあ。
 「WiLL 6月号」(ワック出版)の小林よしのり「本家ゴーマニズム宣言」を読んだ。全然過激ではないので逆に驚いた。例えばこんな内容。

 今まで「原発反対」が左翼の専売特許で、「原発推進」が保守の立場のように思われてきた。だがわしはそのような単純な二項対立には与しない!

 3・11、どこで何をしていたかによって、あるいはどこに住んでいるかによってずいぶん温度差がある。私はあのとき練馬の自宅で、娘と昼寝から目覚めてまどろんでいた。家にいたので特に不便もなく、自宅もわずかに棚から物が落ちた程度だった。しかし夫は当日帰宅できなかったし、東京は今もなお余震が続いている。
 3月末から兵庫県の夫の実家に行っていたが、当然ながら関西は全く平常通りだった。関西から東北は遠い。以下、中井久夫の本から抜粋。

 災害の外にいる私たちには、テレビの情報は非現実感をそそりこそすれ、関心の同心円的拡大にはあまり役に立たない。気仙沼南三陸町陸前高田とが最初から具体性を持つのは何らかの形で縁のある人である。私は石巻市にだけは、一九六六年に調査で行ったことがあるが、それでも北上河口の町、松島の向かい、港があって、と覚えているぐらいである。
 逆に上の三地名は被害の大きさで記憶されてゆくだろう地名である(後の二つは最近の合併でできた地名かもしれない)。
 中井久夫著「災害がほんとうに襲った時」(みすず書房)10ページ

 驚くのは最後の一文。陸前高田は歴史ある地名である。越後高田などと区別するため「陸前」を冠しているだけで、合併してできた地名ではない。関西人の東北に対する認識の薄さが正直に現れている。